2010年センター試験第7問
職場の同僚に面白いメールを送ったら、何通かは誤解されたことありますよね?それは当然なのである。事実、メールを送る場合は常に誤解される可能性があるというアメリカの研究もある。
それでは電話を使った方がいいのだろうか。アメリカの大学教授2人が学生の協力で、メールと電話で感情や微妙な気持ちを意思疎通する現実的な能力を調査したことがある。
一般に、我々は自分たちの言葉の響き、それは真面目なものもあれば軽いものもあるし、悲しいのも陽気なのもあるが、そうした響きはメール・電話のどちらの方法でも効果的な仕方で伝わると確信している。しかし2人の教授によれば、そうではないのである。
実験の一つでは、学生がメールと電話とで様々な話題について書いたメッセージをやり取りした。メッセージの半分は皮肉っぽいもので、残りの半分はそうではないものである。発信者は、75%は自分たちの話題の調子が問題なく理解されると考えていた。それは電話に関しては正解だったが、メールに関しては正解とは言えなかった。書かれたメッセージの意味は、殆ど半分の受信者は正しく捉えていなかった。しかしながら、受信者は電話であろうがメールであろうがメッセージの約90%を理解したと確信していたのだ。
「こうした誤りを説明するなら、それは自己中心主義というべきものである」と教授たちは断言している。発話に伴う非言語的なコミュニケーションがないので、メールによるメッセージは発信者の感情に関して少ししか情報をもたらさない。このことは、他人の考え方よりも自分の考え方を優先させる我々の自然な傾向を増大させるばかりである。
もしメッセージが2重の意味を持っていたら、受取人は自分自身の物の見方に従ってそのメッセージを読むことになるだろう。特にメッセージにユーモアが含まれる場合はその傾向が顕著である。電子メールの普及や、有効なコミュニケーションは部分的には誤りを予想する能力に左右されるという事実を考慮すれば、この結論は実際面において無視されるべきではない、と2人の教授は考えている。
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