2-27 (1月26日) |
ルネサンスの時代には、職人が芸術家になり、親方は天才と呼ばれるだろう。いずれにせよ古代の美徳によって定義される間は作品はその作者に帰せられるのだ。もし作者が知られていないならば、その作者を見出さなければならない。鑑定というものの第一の役目は、やむをえず流派の名前が作者の個人名の代わりになることもあるかもしれないが、作者がどこに属しているかを判断して公言することなのである。というのは、作り手は作品の中で自らを表現するということなのか。いや、そうではなく、そうした考えは時代遅れであって、作り手は作品の中で自らの作風を示し、自分の才能を見せるものである。なぜなら、作品を造るということは、繰り返し述べていることだが、何かを言う意思から生じるのではなく、何かを作る意思から生じるのであるからだ。つまり「faire」という動詞は主語と同時に目的補語も必要とするということなのである。 |
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