2-38  (2月16日)
  ある夜、酒場「ラパン・アジル」を出て仲間とぶらぶら歩き、サクレ・クール寺院の前で立ち止まってパリを眺めたことを思い出す。その頃、街の灯りは乏しく、駅や大通りしか見分けられなかった。みんなちょっと黙っていたが、仲間の一人、長髪の詩人がセーヌ川の方を指さした。
  「俺は有名になったら、あそこに住むぞ。サン・ルイ島だ。セーヌ川の腕の中でひとり夢をみるために!」と彼は大声で言った。
  誰も彼からその場所を取り上げようとはしなかったが、彼に続いてめいめいが自分の場所を選び出した。ある者は友達と落ち合うためにモンパルナスを望み、ある小説家の卵は郊外の生活を送るためにベルヴィルにすると言い、またある画家はブローニュの森で絵を描くからオトゥイユがいいと言った。ただしかし、大部分の者がモンマルトルを離れないと約束した。それは私の密かな願いでもあった。しかし私は目立とうと思い、誰もあえて主張しなかった場所を指し示した。
   「僕はシャンゼリゼにするよ!」
   それは冗談に過ぎなかったが、神はその冗談を真に受けてしまい、ついには私の願いをかなえたのだった。今、私はシャンゼリゼにいる。20年以上前からシャンゼリゼに住んでいるのだ。しかし、シャンゼリゼの贅沢さは一度も私の心をつかんだことはなく、私は常に自分がよそ者だと感じている。シャンゼリゼではみな気取った態度を取りすぎるし、金の話ばかりである。私はモンマルトルで過ごした気取らない頃が懐かしい。そこでは皆がただ大胆にパリを分かち合っていたのだ。
  1. LE LAPIN AGILE:パリ、モンマルトルにある。現在はシャンソニエ(ライブハウス)だが、かつては無名時代のピカソやユトリロなどが通っていた酒場で1世紀以上の歴史があり、今ではパリでも有数の観光名所となっている。(店のWebサイトはこちら
  2. la Basilique:「大教会堂、大聖堂」ここではモンマルトルのサクレ・クール寺院を指す。モンマルトルは丘でパリを一望できる。
  3. pour contempler:flânerの後にあるので「結果」で訳す必要がある。
  4. lui enlever sa place:enlever~à…「…から~を取り上げる」
  5. en herbe:「未来の」他に「 (麦などがまだ青く)未熟の」という意味もある。
  6. Belleville:パリ東部の20区にある。パリを見下ろす高台で、古くは眺めの良い住宅地だった。
  7. Auteuil:パリ西部の16区にある。16区はブローニュの森に隣接する。
  8. nul:不定代名詞で「いかなる人も~でない」今日では ne を伴って主語としてのみ用いられる。
  9. a prise au sérieux:prendre ~ au serieux「(物事)を真に受ける、真剣に受け止める、重大に考える」
  10. fait trop de manières:manièreは複数形で「態度、物腰、礼儀(作法)、気取り」という意味がある。faire des manières「気取る、もったいぶる」
  11. sans façon:「気取らない、形式張らない、もったいぶらずに、遠慮なく」
  12. riches:後にあるonを同格的に修飾する。 riche de+無冠詞名詞「~が豊かな」

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