27  (8月23日)
   確かに人間というものは他の人間もまた人間であるということに完全には確信が持てないのである。いずれにせよ人間は例外を創り出すものなのだ。16世紀スペインの宣教師たちはインディアンが本当に人間であるかどうかと思っていた。ナチスはユダヤ人に人間の権利を認めなかった。ボードレールはかなり真剣にベルギー人が人間であることを疑っていたようである。大部分の人は自分と同じ種である存在、すなわち人間のことを、その人間が示す弱さにおいてのみ認めるのだ。ある人が他人の羨望や狭量な言動、怠惰や恨みを認めると、「人間的だ」と溜息まじりに言うのである。この言葉の中には一種の卑劣な安堵がある。
   しかし、人間たちが自分の同類を認めるのに苦労していること、それについては彼らを許してあげなければならない。なぜなら彼らはまず自分自身を認めるのに苦心しているのだから。
  1. sûrs que:主節が否定・疑問の時は多く que+接続法
  2. En tous les cas:とにかく、いずれにせよ=en tout cas, dans tous les cas
  3. se demandaient:「自問する」という強い意味で使われることは稀で、通常は間接疑問節を伴って「~かどうかと思う」くらいの意味。
  4. fussent:êtreの接続法半過去。主節が完了形不定詞を伴って実質的に過去なので、それに時制の一致をしている。現代語用法では接続現在を使うところ。
  5. leur espèce:直訳すれば「彼らの種」だが、ここでは補足的に訳出。
  6. son envie:以下、所有形容詞は主語のquelqu'unではなく、leur espèce(=他人)を指す。
  7. comme:近似を表す用法で「いわば、まるで、ほぼ、~のようなもの」
  8. exclamation:直訳すれば「(喜び・驚きなどの)叫び」だが、ここは前出の « C'est humain ! »を指している。
  9. que les hommes aient~:文頭遊離構文なので動詞は接続法。
  10. en excuser:excuser(目)de~「~について(目)を許す」。enは文頭遊離した名詞節を受けている。
  11. c'est que:「~というわけだ」(理由・説明を導入する)c'estの後にparceが省略されていると考えてもよい。

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