2-22 (1月7日) |
私は綺麗かしら。この質問を鏡にではなくて、母に投げかけた。私は11歳だった。「私は綺麗かしら」私はさらに母の答えを聞いた。母は私の肌に永久に消えない刻印を押した。「ちょっとねえ、でも感じが良くて、頭が良さそうよ。その方がずっといいわ」私は絶望した。何故と言って、感じの良さとか頭の良さとかは私にとって何も意味しなかったからだ。選択は一つしかない。綺麗か、さもなければ不幸か、だ。母は一言で私を不幸に陥れた。「その方がずっといい」だなんて。 綺麗で優雅である代わりに、感じが良くて頭がいいこと。私がこの運命を避けがたいものとして受け入れる決心をするのに数年かかった。頭の良さの徴だろうか。私は愚かなことに対する鋭い感覚や、それを探知する絶対的な直感を持っている。愚かさを見出した人に関して、私はすぐさま徹底的に手の施しようがないほど拒絶をするか、面白がって寛容になり憐れみのこもった軽蔑をするかのどちらかである。「お願い。ちゃんとして、そして黙って」私はそう懇願して、一人ならずの愚かな人たちをやり過ごしてきた。 |
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