La plus splendide et la plus salubre des capitales de l'Europe. (Napoléon III)
ヨーロッパで最も壮麗にして衛生的な都。 |
ナポレオン3世、本名シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte, 1808年~1873年)はナポレオン1世の甥にあたる。長い亡命生活の後フランスに戻り、1848年に大統領に当選、1851年にはクーデタを起こし、翌年国民投票により皇帝となり第2帝政を始めた。 ナポレオン3世の評価は今日ではあまり高くないが、パリが近代都市となったのは、ナポレオン3世と彼の命を受けたセーヌ県知事のジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンによる都市改造計画のおかげである。ルーブル宮殿の整備やオペラ座の建設など文化施設はもとより、特に上下水道の整備は衛生面での近代化に大きく貢献した。 引用文は改造計画の成果について、ナポレオン3世がオスマンに送った手紙から。 ナポレオン3世についてもっと知りたいなら、 → 日本語版 Wikipedia → フランス語版 Wikipédia |